読者の皆様、こんにちは。自動車業界の最前線で働く筆者が、趣味の枠を超えたプロの視点で、日本の未来のモビリティについて深く掘り下げる解説記事をお届けします。
今回取り上げるのは、日本の交通政策の今後約5年間の羅針盤となる、国土交通省の第3次交通政策基本計画(以下、第3次基本計画)です。この計画は、単なるインフラ整備の指針に留まらず、人口減少、高齢化、そして担い手不足という未曾有の「危機」を、デジタル技術と自動運転によって乗り越え、「好機」に変えようとする、壮大な地域交通再構築のシナリオです。
特に注目すべきは、2030年度までに自動運転サービス車両を1万台に増やすという具体的な数値目標と、その基盤を支えるMaaS 2.0の推進です。2025年時点でレベル3・4の自動運転車両がわずか11台という現状から、わずか5年で約900倍という驚異的な拡大を目指すこの野心的な目標は、日本の交通システムそのものを根本から変革する可能性を秘めています。

この長文解説記事では、専門用語を丁寧に解きほぐしながら、日本政府がどのようにして全国の「交通空白」を埋め、持続可能で便利な未来の交通システムを構築しようとしているのかを、最新の実証実験データや海外との比較を交えて深掘りしていきます。
2030年までの日本の地域交通再構築シナリオ──危機を好機に変える国家戦略
日本は現在、総人口が減少し、高齢化が加速する「経験したことのない長期的な課題」に直面しており、交通分野も例外ではありません。特に地方では、需要減とドライバー不足が重なり、公共交通の維持が非常に困難な状況が生まれています。実際、全国1,741市町村を対象にした調査では、地域交通に係る困りごとを抱える「交通空白」地区が2,057地区にも上ることが判明しました。
「交通空白」とは何か──見えない危機の実態
「交通空白」とは、単に交通手段が存在しない地域だけでなく、最寄りのバス停から300m圏内であっても坂道が多い団地で高齢者にとって移動が困難な場所や、鉄道駅から500m圏内にあっても列車本数が極めて少なく生活の足として使い勝手が悪い駅周辺など、「誰もがアクセスできる移動の足がない又は利用しづらい」地域全般を指します。
この問題は、高齢者の外出や通院を控えることによる健康面の問題や、家族の送迎による「時間貧困」といった社会課題とも深く関連しています。国土交通省のデータによれば、免許を持たない高齢者の外出率は免許保有者と比較して大幅に低く、特に地方圏や周辺都市ほどその差が顕著です。免許返納が進む中、移動手段の確保は待ったなしの課題となっています。
第3次基本計画の全体像──四つの柱で支える未来の交通
この危機的状況を克服し、国民一人ひとりが豊かさと安心を実感できる経済・社会を実現するために、第3次基本計画が策定されました。この計画は、交通を国民生活と社会・経済活動の基盤として位置づけ、事業者、産業、自治体の壁を超えた**連携・協働(モビリティ・パートナーシップ・プログラム)**を推進することで、利便性、生産性、持続可能性の高いサービスを目指します。
第3次基本計画は、交通政策基本法に基づき策定され、令和12年(2030年度)までを計画期間としています。この計画は、国土強靭化計画や社会資本整備重点計画とも一体的に策定・推進されており、ハード・ソフト両面から社会課題の解決を目指す国の「マスタープラン」です。
主要な目標を実現するための土台として、計画は以下の四つの基本的方針を掲げています。
基本的方針A:地域社会を支える、地域課題に適応した交通の実現
地域交通の担い手不足に対応し、地域交通の維持と「交通空白」の解消を目指します。
基本的方針B:成長型経済を支える、交通ネットワーク・システムの実現
経済成長、特にインバウンド6,000万人目標達成に向けた交通ネットワークの強化を図ります。
基本的方針C:持続可能で安全・安心な社会を支える、強くしなやかな交通基盤の実現
災害対策(防災・減災)の強化や、運輸部門のカーボンニュートラル化(GX)への対応を推進します。
基本的方針D:デジタル・新技術の力を活かした時代や環境の変化に応じた交通サービスの進化
自動化・遠隔化技術の徹底活用により、担い手不足を補い、生産性の向上を目指します。
自動運転1万台の衝撃──現状わずか11台からの大躍進
基本的方針Dの具体的な目標の一つとして、2030年度までに自動運転サービス車両を1万台に増やすことが設定されています。この目標は、2025年時点の交通サービスに用いるレベル3(条件付き自動運転)やレベル4(特定条件下における完全自動運転)の車両が全国でわずか11台に留まる現状を考えると、極めて意欲的な目標です。
自動運転レベルの理解──レベル4とは何か
自動運転技術は、米自動車技術会(SAE)が定義した0~5の6段階に分けられ、運行主体がシステムか人間か、自動運転が可能な範囲や条件によってレベルが変化します。
レベル4は「高度運転自動化」と呼ばれ、場所や天候、速度などの特定条件下で、自動運転システムがドライバーに替わりすべての運転を行い、緊急時もシステムが自律的に対応する段階です。レベル3では緊急時にドライバーの対応が必要ですが、レベル4ではその必要がなく、規定された環境下であれば完全無人運転が可能になります。
法整備の進展と実証実験の拡大
2023年4月に施行された改正道路交通法により、レベル4自動運転の公道走行が正式な「許可制度」として創設され、事業者は明確な法的根拠のもとで自動運転サービスを展開できるようになりました。
現在、全国各地で実証実験が活発化しています。福井県永平寺町では2023年5月に国内初の自動運転レベル4での移動サービスが開始され、町内約2キロの区間を7人乗り電動カートが自動運転で運行しています。さらに、茨城県日立市では旧日立電鉄線の廃線跡を利用したバス専用道路を走るひたちBRTで、国内初の中型バスでのレベル4自動運転による営業運行が開始され、約6.1キロが自動運転のバス専用道路区間となっています。
1万台導入の具体的な展開戦略
2030年度の1万台導入目標は、特に担い手不足が深刻なタクシーやバス事業者に対し、自動化・遠隔化技術を徹底的に導入させる方針を示しています。
政府は、「質の高い」サービス(輸送力の高い自動運転大型バスや面的に展開できる自動運転タクシー)や、労働生産性の向上と処遇改善に寄与する**「1対N型」**(一人が複数車両を遠隔監視する運行形態)に重点的に支援を集中させます。これにより、人の労働価値を高め、労働環境の改善につなげることが求められています。
国土交通省は「将来的にレベル4の実現を目指す」と宣言する全国の自治体に対し、これまで補助率100%で実証実験の費用を支給してきましたが、2025年度からは補助率を見直し、事業の持続可能性を重視する方向に転換しています。
しかし、課題も存在します。自動運転車を1台導入するのに必要なコストは数千万円から1億円超とも言われ、カメラやレーダー、LiDARといったセンサーを多数搭載しているほか、走行環境に合わせたシステム整備と定期的なシステム更新が必要です。運賃収入だけで事業を支えるのは極めて困難であり、官民連携による持続可能なビジネスモデルの構築が不可欠です。
MaaS 2.0──地域交通DXの深化と統合プラットフォームの威力

MaaSの基本概念とレベル分類
MaaS(Mobility as a Service:サービスとしてのモビリティ)とは、鉄道、バス、タクシー、シェアサイクルなど、すべてのモビリティサービスを一つに統合し、移動に係るサービスをワンストップで提供する次世代の交通サービスです。利用者はスマートフォン一台で最適なルート検索、予約、決済を一括で行え、移動の手間を大幅に軽減できます。
MaaSの実現レベルは0から4まで定義されており、レベル0は統合なし、レベル1は情報の統合、レベル2は検索・予約・決済の統合、レベル3はサービス提供の統合、レベル4は国や自治体がMaaSを都市計画や政策に組み込み一体的に推進する段階とされています。

現在世界におけるMaaSにて、レベル4を実現している事例はないと言われていますが、MaaSレベル1~2はSuicaやPASMOといった交通系ICカードの決済から、Google MapやNAVITIMEなどの経路検索アプリなどで実現されています。MaaSレベル3においては、東京フリーきっぷに代表される一日乗車券など、有効期限内に定額で鉄道やバスが乗り放題になるといった形で、一部地域や事業者の中において実現されている状況にあると言われています。
MaaS 2.0の革新性──単なる統合を超えた戦略
日本政府は、このMaaSの取り組みをさらに進化させ、MaaS 2.0として推進しています。
MaaS 2.0とは、国土交通省が2024年ごろから打ち出した、地方観光DXなどとの連携を促し、データをオープンソース化する方針を含む、より高度なDX戦略です。この戦略は、単にアプリを統合するだけでなく、「サービス」「データ」「マネジメント」「ビジネスプロセス」の4つの観点からデジタル技術の活用を推進し、地域交通の持続可能性、利便性、生産性の向上を目指します。
具体的には、以下の取り組みが進められています。
データ連携の標準化
GTFS(公共交通情報を提供するための標準データ形式)をはじめとするモビリティ・データの標準化と利用促進を進め、データが二次利用しやすい環境を構築します。
業務の標準化
運行形態が多様なバス事業などで、業務モデルとシステム構成の標準化を推進し、バックオフィス業務のデジタル化・省力化を図ります。
このMaaSの推進は、地方公共団体の新たなモビリティサービスに係る取り組み件数の増加という形で成果が期待されています(令和12年度までに1,741件が目標)。
日本版MaaS推進事業──全国で花開く実証実験
2025年以降、全国の主要都市でMaaSの本格導入が進んでおり、特に5G通信の発展により、リアルタイムデータを活用した移動の最適化が加速しています。
国土交通省の日本版MaaS推進・支援事業を通じて、北海道十勝地域や沖縄県八重山地域などで、バスやタクシー、ライドシェアを統合する実証実験が支援されており、地域課題の解決策として機能しています。
成功事例1:群馬県前橋市「GunMaaS」

地域住民の移動実態に即した公共交通の再編とサービス高度化を目指す「GunMaaS」は、バス、タクシー、デマンド交通などの情報を一元化し、リアルタイム経路検索、予約、決済を可能にするWebサービスです。市民割引やデジタルフリーパスの導入を通じて、高齢者の外出促進や観光DXを推進しています。
成功事例2:新潟県湯沢町「湯沢版MaaS」

県、町、観光まちづくり機構が中心となり実施されている「湯沢版MaaS」は、生活需要に加え、スキーシーズンなどの観光需要を取り込み、住民と観光客の移動を一体的に支えることで、路線維持や地域活性化を図る「地域の足」と「観光の足」のハイブリッド化の好例です。
成功事例3:沖縄県豊見城市の自動運転EVバス

2025年度にはレベル4の許認可を目指し自動運転バスの社会実装を推進しており、観光MaaSの一環として空港・観光地への移動をシームレス化しています。
世界市場との比較──日本の立ち位置
世界のMaaS市場規模は2021年の約1,873億米ドルから、2024年には約4,106億米ドル、2032年までには16,981億米ドルに達する見込みで、着実な拡大傾向を示しています。欧州や北米を中心に、規制緩和や公共交通機関のデジタル化、電動化の推進が市場拡大を後押ししています。
フィンランドの「Whim」は、サービスエリア内の鉄道やバス、タクシー、レンタサイクルなどのモビリティサービスを一元管理し、目的地を設定すると有効な移動手段の組み合わせや経路が提案され、支払いまでをアプリで完結できる仕様で、月々の定額料金ですべてのモビリティサービスを利用できるプランが特徴です。
日本は現状おおむねMaaSレベル1の段階にあるとされ、先進国に比べて遅れていますが、MaaS 2.0という独自の進化戦略により、データ標準化と業務効率化を同時に推進する点で差別化を図っています。
「交通空白」解消・集中対策期間──2025-2027年の3年間が勝負
官民連携プラットフォームの創設
国土交通省は2025年5月に「『交通空白』解消に向けた取組方針2025」を策定し、2025年度から2027年度までの「交通空白解消・集中対策期間」を定めました。
この期間の目標は、全国でリストアップされた「何らかの対応が必要とされる交通空白地区」計2,057地区(地域住民の足)と、課題のある観光の足(主要交通結節点)計462地点について、その解消に目途をつけることです。
2024年11月に設置された「交通空白」解消・官民連携プラットフォームには、全国の自治体や交通事業者、自動車関連以外の異業種など幅広い企業・団体から167者が参画しています。このプラットフォームは、自治体や交通事業者が抱える課題と、民間企業が持つソリューションや技術をマッチングさせる役割を担い、全国展開・実装が期待される新しい仕組み(運営、技術、人材など)を構築するパイロット・プロジェクトを推進しています。
あらゆる移動手段の総動員──公共ライドシェアと日本版ライドシェア
対策の核となるのが、以下の三つの柱です。
1. あらゆる移動手段の総動員
公共ライドシェアとは、バス事業やタクシー事業によって輸送手段を確保することが困難な場合、市町村やNPO法人などが自家用車を活用して提供する有償の旅客運送で、「交通空白地有償運送」と「福祉有償運送」の2つが省令で規定されています。
さらに、2024年3月には日本版ライドシェアが創設され、タクシー事業者の管理の下で自家用車・一般ドライバーを活用した運送サービスの提供が可能となり、タクシー配車アプリデータ等を活用してタクシーが不足する地域・時期・時間帯を特定し、地域の自家用車・一般ドライバーを活用して不足分を供給する仕組みが導入されました。
2. 「地域の足」と「観光の足」の総合的確保(ハイブリッド化)
地域住民の生活需要だけでなく、インバウンドを含む観光需要を積極的に取り込み、収益を「地域の足」の維持に活用するなど、両者を統合的にデザインする取組を推進します。
3. デジタル技術による司令塔機能の強化
「交通空白」解消を持続的に行うためには、各市町村が地域の交通計画を策定・実行・評価する司令塔機能を強化することが不可欠です。デジタル技術は、この司令塔機能を強力に支援します。
国土交通省は、地域公共交通計画をデータドリブン(データ駆動型)で実効性のあるものに更新するため、モビリティデータの活用方法を解説した「アップデートガイダンス」や、実務者向けのポータルサイト**「MOBILITY UPDATE PORTAL」**を提供しています。このポータルサイトでは、モビリティデータ活用の手引き、課題解決事例、有識者リストなどが提供され、自治体の業務負担軽減とノウハウの蓄積を促進します。
自動運転とMaaSの連携──交通システムの構造変革
自動運転とMaaSは、デジタル技術(基本的方針D)という横串を通じて、地域交通の持続可能性を高めるための両輪です。
自動運転がMaaSプラットフォームに与える影響
自動運転技術は、MaaSプラットフォームを通じて提供されるサービスの供給サイドの構造変革に不可欠です。ドライバー不足という構造的な課題を自動運転が解決することで、MaaSアプリ上で提供できる移動手段の選択肢が飛躍的に増加し、利用者の利便性が大幅に向上します。
次世代技術の加速化──空飛ぶクルマと自動物流道路
第3次基本計画では、自動運転トラックによる高速道路等の一部区間における輸送の実装支援に加え、より未来を見据えた先進モビリティの実用化も進めます。
空飛ぶクルマ
物資輸送や医療、防災・災害対応など、幅広い活用が期待されており、商用運航の開始とネットワーク化に必要な制度・体制の整備が進められています。
自動物流道路
物流危機への対応と温室効果ガス削減のため、2030年代半ばまでの先行ルートでの運用開始に向けた検討が進められています。新東名高速道路の沼津サービスエリアから浜松サービスエリアの区間では、優先レーンを設けて深夜時間帯のみレベル4トラックの実証運行が開始されています。
海外勢の動向──Waymoの日本進出が示す競争の激化
米Googleの自動運転タクシーWaymoが2025年初頭に東京で地図作成に着手し、日本交通およびGOと提携するなど、海外勢の日本市場参入も加速しています。日本の自動運転戦略は官民一体の体系的なアプローチという強固な基盤を持つ一方で、開発速度と投資規模の面で米国・中国に劣後するという構造的な課題に直面しています。
終わりに:岐路を好機に変えるモビリティ・パートナーシップ
第3次基本計画と、それを具現化する「交通空白」解消に向けた取り組み、そしてMaaS 2.0や自動運転1万台という目標は、日本の地域交通が直面する危機を、技術と政策の力で乗り越えようとする強い意志の表れです。
特に、自動運転サービスの普及は、単なる技術導入ではなく、担い手不足という構造的な課題を解決し、地域社会の基盤を維持するための構造変革そのものです。2025年中にレベル4サービスを実現するエリアは二桁に達する可能性があり、実装に向け継続的に取り組むエリアは50カ所に達する見込みです。
この変革を成功させる鍵は、計画の冒頭にも謳われている通り、交通事業者、地方自治体、そして私たち民間企業を含む全ての関係者が「我がこと感」を持ち、連携・協働(モビリティ・パートナーシップ・プログラム)を徹底することにあります。
MaaSの実現には高度なICT技術、自動運転システム、デジタル決済など多くの先端技術の導入が不可欠で、初期投資として数千万円から1億円以上の費用が必要となる場合も多いものの、官民連携と継続的な技術革新により、これらの課題は確実に克服されつつあります。
自動車業界に携わる者として、この歴史的な転換点において、技術とサービスを通じて、誰もが安心して自由に移動できる持続可能な社会の実現に貢献していく所存です。2030年、日本の交通システムは確実に変わります。その変化の最前線を、引き続き皆様にお伝えしてまいります。


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