街なかで電気自動車(EV)を見かける機会が増えました。それと同時に、ニュースやSNSで「EVが燃えた」という映像を目にすることも多くなったのではないでしょうか。特に中国では、新エネルギー車(NEV)が新車販売のおよそ半分を占めるまでに急拡大しました。その一方で、急速充電中の発火や、衝突後に車両が炎上してドアが開かず乗員が逃げられなかった、という痛ましい事故が社会問題になっています。
そしてこの夏、日本の軽自動車市場に、中国の大手BYDが日本専用設計の軽EV「ラッコ(RACCO)」を投入しました。「中国のEVは燃えるのでは」「軽自動車でEVは大丈夫なのか」という声を、私自身もあちこちで耳にします。
私は自動車業界に46年身を置いてきた業界関係者です。キャブレターの調整が当たり前だった時代から、ハイブリッド車の登場、そして高電圧の駆動用バッテリーを積んだEVの普及まで、クルマの変化を現場で見てきました。この記事では、その立場から次の点を、できる限り客観的に、そして分かりやすく解説いたします。
- リチウムイオン電池が起こす「熱暴走」の科学的な仕組み
- EV火災の消火が難しい理由
- 中国で進む安全基準の大幅強化と、過去最大級のリコールの中身
- 日本で発売された「ラッコ」に向けられている懸念と、その実際の捉え方
- オーナーや購入検討者が今日からできる自衛策
結論を先に申し上げると、「過度に恐れる必要はないが、正しく知っておくべきことは確かにある」というのが私の考えです。少し長くなりますが、最後までお付き合いいただければ幸いです。
第1章:EV火災の正体「熱暴走」とは何か
EVの火災を語るうえで、避けて通れないのが「熱暴走(Thermal Runaway)」という現象です。ガソリン車の火災とは、燃え方の性質がまったく違います。ここを理解しておくと、ニュースの見え方が大きく変わります。
熱暴走の基本的な仕組み
リチウムイオン電池は、正極と負極の間を「セパレーター」という極薄の膜で仕切り、その間を電解液で満たした構造になっています。リチウムイオンがセパレーターを通って行き来することで、充電と放電が行われます。
このセパレーターが何らかの理由で破れたり溶けたりすると、正極と負極が直接触れて「内部短絡(ショート)」が起きます。ショートした部分には大電流が流れ、局所的に急激な発熱が起こります。温度が上がると電解液や電極材料が化学的に分解し始め、その分解反応がさらに熱を生みます。熱が反応を呼び、反応が熱を呼ぶ。この止まらない悪循環こそが熱暴走です。
熱暴走の引き金となる主な要因
熱暴走のきっかけは、大きく次の4つに分けられます。
- 物理的な損傷:衝突事故や、縁石・段差・落下物による車体底面への強い打撃(いわゆる「底打ち」)で、電池セルが変形・破損するケースです。
- 電気的な負荷:過充電や、急速充電を繰り返すことによる劣化です。急速充電を重ねると、負極の表面にリチウム金属が樹の枝のように析出する「デンドライト」が成長し、セパレーターを突き破って内部短絡を起こすことがあります。
- 製造上の欠陥:セル製造時に混入した微細な金属片や、電極の位置ずれなどの「潜在的な欠陥」が、使用を続けるうちに顕在化するケースです。
- 熱管理システムの不具合:冷却水の漏れや冷却ポンプの故障、制御ソフトウェアの不具合で、電池が適正温度を保てなくなるケースです。
一つのセルから電池パック全体へ広がる「連鎖」
EVの駆動用バッテリーは、数十から数百個の電池セルを組み合わせた「電池パック」として床下に搭載されています。一つのセルで熱暴走が起きると、その熱が隣のセルを加熱し、次々と熱暴走が伝播していきます。これを「熱拡散(熱伝播)」と呼びます。
この連鎖が止められないと、パック全体が激しく燃え、内部温度は条件によって1000℃前後という非常な高温に達することもあります。また、電解液の分解によって可燃性で有毒なガスが大量に発生するため、炎だけでなく煙も大きな危険になります。
後で説明する中国の新基準が「熱拡散」を最も重視しているのは、まさにこの連鎖をいかに食い止めるかが、乗員が逃げられるかどうかを左右するからです。
なぜEVの火災は消火が極めて難しいのか
ガソリン車の火災は、燃料という「燃えるもの」と、空気中の酸素が結びついて起こります。ですから、泡消火剤や消火シートで酸素を遮断すれば、火の勢いを抑えられます。ところが、EVのバッテリー火災はそう単純ではありません。
電池が自ら酸素を作り出してしまう
リチウムイオン電池の正極材料には、酸素を含む化合物(金属酸化物など)が使われています。熱暴走が進むと、この正極材料が分解して内部で酸素を放出します。つまり、外からの酸素を遮断しても、電池の中で燃焼に必要な酸素を自給してしまうのです。消火シートで車両を覆う手法は延焼防止や煙の抑制には有効ですが、電池内部の化学反応そのものを止めることはできません。
大量の水と長い時間が必要になる
現時点で最も有効とされている方法は、大量の水で電池を冷やし続け、熱暴走の連鎖を止めることです。しかし、電池パックは床下で頑丈なケースに覆われているため、水が内部のセルまで届きにくいという問題があります。海外の消防当局の報告では、1台のEV火災の鎮火に数万リットル規模の水を要した例や、長時間にわたる冷却作業が必要になった例が紹介されています。一般的なガソリン車火災と比べると、桁違いの水量と時間がかかることがあるのです。
鎮火したように見えても再発火する
EV火災で特に厄介なのが「再発火」です。表面上は火が消えても、電池内部の損傷したセルがくすぶり続け、数時間後、場合によっては数日後に再び燃え出すことがあります。そのため海外では、事故を起こしたEVを運ぶレッカー車に消防車が付き添ったり、回収後の車両を建物や他の車から離れた場所に隔離保管したりといった運用が取られています。
整備や保管に関わる立場から申し上げると、これは事故車を扱う現場にとって非常に大きな課題です。ガソリン車なら「消えたら終わり」でしたが、EVでは「消えた後の管理」までが安全対策になります。
電池の種類で「燃えやすさ」は大きく変わる
ここで、ラッコの話にもつながる大切なポイントをお伝えします。ひとくちにリチウムイオン電池と言っても、正極材料の種類によって熱暴走の起こりやすさが大きく異なります。
| 項目 | 三元系(NMC/NCAなど) | リン酸鉄リチウム(LFP) |
|---|---|---|
| エネルギー密度 | 高い(航続距離を伸ばしやすい) | やや低い |
| 熱暴走が始まる温度 | 比較的低い | 比較的高い |
| 熱暴走時の酸素放出 | 多い | 少ない(結晶構造が安定) |
| 寿命・充放電サイクル | 標準的 | 長い傾向 |
| コスト | 高め | 安め |
リン酸鉄リチウム(LFP)電池は、正極の結晶構造が強固で、高温になっても酸素を放出しにくいという性質を持っています。そのため、熱暴走が起こりにくく、仮に起きても反応が比較的穏やかとされています。エネルギー密度では三元系に劣りますが、安全性と寿命で優れているのが特徴です。
ただし、誤解していただきたくないのは「LFPなら絶対に燃えない」わけではないという点です。LFPでも、強い物理的損傷や、セル以外の部分(配線や冷却系統など)の故障をきっかけに火災が起きる可能性はゼロではありません。「燃えにくい傾向にある」と理解しておくのが正確です。
業界関係者として現場で感じていること
整備の技術的な面から少しだけ補足させてください。EVやハイブリッド車の駆動用バッテリー周りは、数百ボルトの高電圧が流れています。この部分を扱うには専用の教育と絶縁工具が必要で、作業前には「サービスプラグ」と呼ばれる遮断装置を抜いて、残留電圧が抜けるのを待つ手順が欠かせません。
現場で私が特に気にしているのは、オーナーご本人が気づいていない「底打ち」です。段差や縁石で床下をこすっても、走行に支障がなければ多くの方はそのまま乗り続けます。しかしEVでは、その床下こそが電池パックです。外から見て小さな傷でも、内部のセルにダメージが及んでいないかは、専用の診断機でセル電圧のばらつきや絶縁抵抗を確認しないと判断できません。
もう一つは「冠水」です。過去には中国で、電池パックのシーリング不足から冠水路走行で水が浸入し、絶縁性能が低下するおそれがあるとしてリコールになった例もあります。冠水した道路は、EVにとって想像以上に過酷な環境だと覚えておいてください。
第2章:中国で進む安全基準の「大幅強化」と過去最大級のリコール
中国は世界最大のEV市場です。急拡大の裏側で、品質や安全をめぐる問題も表面化してきました。2025年から2026年にかけて、中国当局は電池・車両・ドアハンドルという3つの面から、相次いで規制を強化しています。
業界トップのCATLが鳴らした警鐘
2026年9月3日、四川省宜賓で開かれた「世界動力電池大会」で、電池世界最大手CATL(寧徳時代)の曽毓群(ロビン・ゾン)会長が、業界に対して異例とも言える強い警告を発しました。
発言の要点は次のとおりです。
- 2026年に中国で発売された新車は600車種を超え、平均すると1日あたり3車種近いペースになっている
- その一方で、一部の動力電池製品にロット単位の「批量故障」が発生している
- 各社がスピード・スペック・価格を競い合い、開発期間がどんどん短くなっているが、その代償として製品の品質と消費者の信頼が損なわれている
さらに曽会長は、電池セルの故障率について、業界で一般的とされる「百万分の一(ppm)」の水準に対し、自社は「十億分の一(ppb)」の水準まで管理していると強調しました。単純に言えば、1000倍厳しい目標で品質を管理しているという主張です。もちろんこれはCATL自身の社内目標であり、第三者が監査した数字ではありません。また、競合他社への牽制という側面もあるでしょう。
それでも、業界の頂点に立つ企業のトップが公の場で「このままでは危ない」と発言した意味は重いと私は受け止めています。実際、この時期には中国当局も、開発期間を短縮して検証を省いたいわゆる「速成車」への監視を強めており、生産の一貫性や品質向上を目的とした1年間の特別行動を始めています。
自動車は家電と違い、10年、15年と使われ続ける製品です。開発段階で十分な時間をかけて検証することの大切さは、長く業界にいる者として身にしみて感じています。
「史上最厳」の新国家標準 GB38031-2025
中国の電池安全に関する強制国家標準「GB38031-2025(電気自動車用動力蓄電池安全要求)」が、2026年7月1日に施行されました。現地では「史上最も厳しい電池安全令」と呼ばれています。主な変更点を見ていきましょう。
熱拡散の要件:「5分の逃げる時間」から「燃えない・爆発しない」へ
最大の変更点は、先ほどご説明した「熱拡散」の要件です。
| 項 目 | 旧基準(2020年版) | 新基準(GB38031-2025) |
|---|---|---|
| 基本的な考え方 | 熱暴走後、発火・爆発の5分前に警報を出す(乗員が逃げる時間を確保) | 熱暴走が起きても発火・爆発させない |
| 観察時間 | 5分 | 少なくとも2時間 |
| 温度要件 | 規定なし | すべての測定点で60℃以下 |
| 煙・ガス | 規定なし | 乗員室に侵入させない |
| 熱暴走の誘発方法 | 針刺し、外部加熱 | 内部加熱を追加(実際の内部短絡に近い条件) |
旧基準の発想は「燃えるかもしれないので、逃げる時間を作る」というものでした。新基準は「そもそも燃やさない」という発想に大きく転換しています。単に熱暴走を遅らせるだけでなく、能動的に連鎖を断ち切る設計が求められるようになったのです。
底部衝撃試験の新設
新基準では、電池パックの底面への衝撃試験が新たに加わりました。直径30mmの鋼球を、150ジュールのエネルギーで電池パックの底面に下から垂直に打ち付け、漏れ・破裂・発火・爆発が起きないこと、絶縁抵抗が基準を満たすことを確認します。
これは、先ほどお話しした「底打ち」や、走行中の飛び石・落下物による損傷を想定したものです。現場の感覚からしても、非常に理にかなった試験項目だと思います。
急速充電300回後の安全試験
もう一つの新しい試験が、急速充電サイクル後の安全性確認です。300回の急速充電を繰り返した電池に対して外部短絡試験を行い、発火や爆発がないことを求めます。急速充電の繰り返しで成長するデンドライトによる内部短絡のリスクを、新品時だけでなく使い込んだ状態でも確認しようという狙いです。
適用スケジュール
新基準は段階的に適用されます。
- 2026年7月1日以降:新たに型式申請する車種は、新基準への適合が必須
- 既存の販売車種:経過措置があり、2027年7月1日までに適合しなければ、生産・販売を続けられない
BYDやCATLの電池、シャオミ、トヨタなど大手メーカーの一部製品は、施行前の段階で新基準の認証取得を前倒しで完了したと発表しています。
新基準にも「限界」はある
ただし、中国の専門家からも冷静な指摘が出ています。新基準の熱拡散試験は、主に「一つのセルが内部短絡を起こして熱暴走する」という単一の故障パターンを想定したものです。高速での衝突や激しい底打ちのように、複数のセルが同時に損傷する極端な状況では、エネルギーの放出規模も故障の複雑さも試験条件をはるかに上回る可能性があります。
また、これまでに起きた車両火災の中には、電池セルそのものではなく、冷却系統など周辺部品の故障が原因とされるものも少なくありません。「新基準適合=どんな状況でも絶対に燃えない」ではない、という点は押さえておくべきでしょう。
同時に施行された車両側の基準:ワンタッチ電源遮断
電池の新基準と同じ2026年7月1日には、車両全体の安全要件を定めた「GB18384-2025(電気自動車安全要求)」も施行されました。ここでは、独立した物理式の「ワンボタン緊急電源遮断装置」の搭載が求められています。
事故の際に高電圧系統を確実に切り離せれば、救助にあたる人の感電リスクを減らし、火災の拡大を抑える効果も期待できます。
ドアハンドルの強制国家標準 GB48001-2026
もう一つ、中国で大きな議論を呼んだのが「ドアが開かない」問題です。
近年の中国EVでは、ボディ表面と面一(つらいち)に収まる「隠しドアハンドル」や、電気でポップアップする格納式ハンドルが流行しました。見た目がすっきりして空気抵抗も減るため、テスラが広めて多くの中国メーカーが追随したデザインです。一時は売れ筋の新エネルギー車の約6割がこの方式を採用していたとされます。
ところが、衝突や火災で車の電気系統が失われると、電動式のハンドルが作動しなくなります。車内の非常用の機械式レバーも、場所が分かりにくかったり操作しにくかったりして、乗員が自力で脱出できない、外から救助しようとしてもドアが開けられない、という事故が相次ぎました。
これを受けて、2026年1月28日に強制国家標準「GB48001-2026(汽車車門把手安全技術要求)」が公布され、2027年1月1日から施行されます。この基準は、世界で初めてドアハンドル単独を対象にした強制法規とされています。主な要件は次のとおりです。
- すべてのドア(テールゲートを除く)に、機械的に操作できる車内・車外のハンドルを備えること
- 車両全体が電源を失っても、純粋に機械式の緊急解錠機能が働くこと
- 衝突・火災・低温などの極端な条件でも確実にドアを開けられること
- 車内の機械式ハンドルは、乗員から見えやすく遮られない位置に設けること
- 手で操作するのに十分な空間を確保すること
新規に型式申請する車種から段階的に適用され、既存の販売車種にも改修期限が設けられています。
単一の問題で過去最大のリコール:9社・約427万台
この流れの中で、2026年8月21日、中国の国家市場監督管理総局(SAMR)の公告により、9社によるドアハンドル関連の大規模リコールが明らかになりました。中国の自動車市場で、単一種類の問題によるリコールとしては過去最大の規模です。
対象となった主なメーカーと台数は次のとおりです。
- テスラ:中国製と輸入版のModel 3・Model Y・Model X・Model S、合計約298万台(全体の約7割)
- シャオミ:SU7シリーズ、約39万台
- 零跑汽車(Leapmotor):C01・C11、約37万台
- 小鵬汽車(XPeng):G6・P7+・X9、約26万台
- 吉利(Zeekr):007・X、約9万台
- そのほか、奇瑞汽車(Chery)、東風汽車、北汽藍谷、中国第一汽車(FAW)
リコールの理由は主に、車内の緊急用機械式ドア開放装置が「見つけにくい・操作しにくい」というものです。たとえば、非常用レバーの色が内装と似ていて、とっさの時に見つけられないおそれがあるとされました。
対策内容は、非常用レバーの位置を示す警告ラベルの追加、衝突後に窓ガラスを自動で下げるソフトウェアのOTA(無線)更新、レバーのカバーを文字表示付きの改良品に交換するなど、メーカーや車種によってさまざまです。
なお、このリコールにBYDは含まれていません。ただし、それをもって「BYDだから安全」と短絡的に捉えるのではなく、「電子制御のドアには、電源を失った時の脱出手段が必要だ」という教訓として受け止めることが大切です。この教訓は、中国車に限らず、電子制御化が進むすべてのクルマに共通するものです。
第3章:日本で発売された「ラッコ(BYD)」への懸念と正しい捉え方
ここからは、日本の皆さんにとって最も身近な話題である、BYDの軽EV「ラッコ」について掘り下げていきます。
ラッコとはどんなクルマか
まず、基本的な情報を整理しておきます。
- 発売日:2026年7月28日
- 位置づけ:海外メーカーとして初めて、日本の軽自動車規格に合わせて専用設計された軽EV
- ボディタイプ:両側電動スライドドアを備えたスーパーハイトワゴン(全高約1.8m)
- グレードと価格:「200」214万5000円、「300プラス」239万8000円、「300プレミアム」249万7000円
- 航続距離:「200」が210km、「300」系が320km(軽EVとして最長クラス)
- 駆動用バッテリー:BYD独自の「ブレードバッテリー」(リン酸鉄リチウム=LFP)
- 車体構造:電池を車体構造の一部として組み込む「CTB(セル・トゥ・ボディ)」技術を採用。ボディの約70%に高強度鋼板を使用し、ルーフとサイドパネルはレーザー溶接
- 統合技術「X-PACK」:駆動用バッテリー、電子制御ユニット、車載充電器、高電圧配電ユニットなどを電池ユニット内に集約
- ソフトウェア:SDV(ソフトウェア・デファインド・ビークル)設計で、OTAによるソフトウェア更新に対応
- 保証:駆動用バッテリーの容量保証は8年または16万km(有償で10年・20万kmまで延長可能)、一般保証は6年または15万km
軽乗用車市場のおよそ半分を占めるスーパーハイトワゴンという激戦区に、EVとして初めて真正面から挑んだ一台です。BYDは、中国にはこれほど小さなサイズのクルマが存在しないため、シャシーを完全に新規開発し、専用の生産ラインも立ち上げたと説明しています。
ラッコに向けられている懸念材料を整理する
ラッコについて、業界の内外で語られている懸念を整理すると、大きく6つに分けられます。一つずつ、業界関係者としての見方を添えて解説します。
懸念1:駆動用バッテリーの発火リスク
最も多く聞かれるのが「中国製の電池は燃えるのでは」という不安です。
この点については、ラッコがLFPのブレードバッテリーを採用していることが、大きな安心材料になります。第1章でご説明したように、LFPは三元系に比べて熱暴走を起こしにくく、高温でも酸素を放出しにくい性質を持っています。ブレードバッテリーは、細長い板状のセルを並べることで、電池パック自体を構造部材として活かす設計になっています。BYDは以前からこの電池の安全性を強くアピールしてきましたし、BYDの電池は中国の新基準(GB38031-2025)の認証取得を前倒しで完了したと報じられています。
一方で、注意しておきたい点もあります。中国の新基準の認証は、あくまで中国市場向けの型式認証の話であり、日本で販売されるラッコがその試験を受けたことを直接意味するわけではありません。日本で販売される車両は、日本の道路運送車両の保安基準に基づいて審査されています。日本の保安基準は、電動車の電池安全について国連の規則(UN-R100)を取り込んでおり、国際的な枠組みに沿った審査が行われています。
まとめると、「電池の化学的な素性は安全寄りで、メーカーの技術的な裏付けもあるが、個別車種の安全性は日本の認証と実際の市場での実績で判断していく段階」というのが、現時点で最も正確な捉え方だと思います。
懸念2:CTB・X-PACKによる高度な統合と「修理のしやすさ」
これは、整備に関わる人間として個人的に最も注目している点です。
CTBやX-PACKのように、電池や制御ユニットを車体や電池パックに高度に統合する設計には、明確なメリットがあります。部品点数を減らして軽量化・低コスト化ができ、床下の空間を有効に使えるため車内も広くなります。BYDは、この統合によって衝突時のエネルギー吸収スペースも大きく確保したと説明しています。
一方で、裏返すと「部分的な修理がしにくい」という側面も考えられます。たとえば、底打ちで電池パックの一部が損傷した場合、従来型のモジュール構造であれば損傷したモジュールだけを交換できることがあります。しかし高度に統合された構造では、ユニットごとの交換になったり、車体側の修理と一体で考えなければならなくなったりする可能性があります。
これは安全性というより、事故後の修理費用や保険の扱い、修理期間に関わる問題です。統合型のEVは、軽微な事故でも電池周りに影響があると、修理費が車両価格に対して大きくなり、全損扱いになるケースが海外で話題になっています。ラッコに限らず、統合設計のEV全般について、購入前に「事故の際にどこで、どのように修理できるのか」を確認しておくことをおすすめします。
懸念3:両側電動スライドドアと「いざという時の脱出」
中国のドアハンドル問題を知った方から、「ラッコの電動スライドドアは事故の時に開くのか」という質問をいただくことがあります。もっともな疑問です。
まず前提として、ラッコのスライドドアは中国で問題になった「隠しドアハンドル」とは構造が異なります。また、電動スライドドア自体は、日本のミニバンや軽スーパーハイトワゴンで長年使われてきた装備で、一般的には電動機能が使えない時にも手動で開閉できるように作られています。
とはいえ、具体的な非常時の開け方(車内からの解除方法、チャイルドロックの影響、電源喪失時の操作の重さなど)は車種ごとに異なります。私がお伝えしたいのは、「ラッコだから危ない」ということではなく、「どのクルマでも、非常時のドアの開け方を自分の手で一度試しておくべきだ」ということです。具体的な方法は、必ず取扱説明書と販売店の説明で確認してください。
懸念4:SDVとOTA――ソフトウェアに依存するクルマの課題
ラッコは、軽自動車としては世界で初めてSDVをベースに設計されたクルマとされ、スマートフォンのようにソフトウェアを無線で更新できます。購入後も機能が改善されていくのは大きな魅力です。
その一方で、ソフトウェアへの依存度が高いクルマには、次のような点を意識しておく必要があります。
- 不具合の修正がOTAで迅速に行える反面、更新によって操作感や機能が変わることがある
- バッテリーの充電制御や熱管理など、安全に関わる部分もソフトウェアで制御されている
- 長期間(10年以上)にわたり、ソフトウェアのサポートや通信サービスが継続されるかどうか
中国のリコールでも、窓ガラスの制御などをOTAで改善する対応が多く見られました。ソフトウェアで改善できるのは利点ですが、オーナーとしては、更新の通知を見逃さず、内容を確認する習慣をつけておくことが大切です。
懸念5:軽自動車という車格と衝突安全
軽自動車は、全長3.4m、全幅1.48mという限られた寸法の中で、衝突のエネルギーを吸収しなければなりません。これはガソリンの軽自動車でもEVでも同じ課題です。
EVの場合、重い電池を床下に積むため車両重量が増えます。重さは衝突時のエネルギーを大きくする一方で、重心が低くなり安定性が高まるという利点もあります。ラッコは高強度鋼板の多用やレーザー溶接で剛性を高めていると説明していますが、第三者機関による衝突安全評価の結果が公表されているかどうかは、購入を検討する際に確認しておきたいポイントです。
懸念6:販売・整備ネットワークと部品供給
最後は、クルマそのものではなく「支える体制」の問題です。
日本の軽自動車ユーザーは、近所で気軽に点検や修理を受けられることを当然のように期待しています。新規参入のメーカーにとって、全国どこでも同じ品質の整備を受けられる体制、事故の際に部品が速やかに届く体制を整えることは、大きな課題です。
特にEVは、高電圧系統を扱える資格と設備を持った拠点でなければ、駆動用バッテリー周りの点検や修理ができません。購入前に、自宅や職場から通える範囲にどのような整備拠点があるのか、事故の際のレッカーや修理の流れはどうなっているのかを確認しておくと安心です。
冷静に把握しておきたい事実
懸念ばかりを並べてしまいましたが、ここからは、不安をあおらないために押さえておきたい事実をお伝えします。
「EVはガソリン車より燃えやすい」は統計的に証明されていない
ネット上では「EVの火災発生率はガソリン車の数十分の一」といった数字がよく引用されます。しかし、こうした比較の元になっている海外のデータには、集計方法の問題を指摘する専門家もいます。逆に「EVは燃えやすい」という主張にも、確かな統計的根拠があるわけではありません。現時点では、EVとガソリン車の火災リスクを公平に比べられる信頼性の高い統計は、まだ十分にそろっていないというのが実情です。
私自身の46年の経験から言えば、ガソリン車の火災も決して珍しいものではありませんでした。燃料漏れや配線のショート、排気系の過熱など、原因はさまざまです。EVの火災は一度起きると派手で、映像として拡散されやすいため、実際以上に多いと感じてしまう面があるのだと思います。
日本のリコール制度は、輸入車にも同じように適用される
日本で販売されるクルマは、国産車も輸入車も、同じリコール制度のもとで管理されています。BYDの日本法人も、これまでに灯火装置やシートベルトのプリテンショナー配線など、いくつかのリコールを国土交通省に届け出て、無償で改修を行ってきました。
リコールが出ること自体は、どのメーカーにもあることです。むしろ大切なのは、問題が見つかった時にきちんと届け出て、改修が行われる仕組みが機能していることです。購入後は、メーカーからの通知や国土交通省のリコール情報に目を通す習慣をつけておくとよいでしょう。
大手メーカーの電池技術は確実に進歩している
中国の新基準が施行される前に、BYDやCATLといった大手の電池が前倒しで認証を取得したことは、技術の裏付けとして評価してよい事実です。新基準の施行で、技術力の乏しい中小メーカーが淘汰されていくと見られており、業界全体の安全水準も底上げされていくでしょう。
中国国内で問題になった品質トラブルの多くは、開発期間を極端に短縮した新興メーカーや、コスト競争に偏った製品に起因する面が大きいと私は見ています。「中国製」とひとくくりにせず、メーカーや電池の種類ごとに見ていくことが大切です。
第4章:EVオーナーと購入検討者のための自衛策
最後に、ラッコに限らず、EVに乗る方、これから乗ろうとしている方に向けて、実践的な自衛策をまとめます。
購入前に確認しておきたいチェックリスト
- 電池の種類:LFPか三元系か。安全性と寿命、航続距離のバランスを理解しておく
- 電池の保証内容:容量保証の年数・距離、保証の条件(定期点検の受診など)
- 非常時のドアの開け方:販売店で実際に車内・車外から試させてもらう
- 整備拠点:高電圧系統を扱える拠点が通える範囲にあるか
- 事故時の修理体制:電池パックが損傷した場合の修理方法と費用感、保険の扱い
- 自宅の充電環境:専用回路の普通充電設備を、資格のある電気工事業者に施工してもらう
日常の使い方で気をつけたいこと
充電の習慣
- 日常の充電は、できるだけ自宅の普通充電を中心にする
- 急速充電は便利ですが、毎回の頻繁な使用は電池への負担になるため、長距離移動時など必要な場面で使う
- 延長コードやたこ足配線での充電は絶対にしない
- 充電ケーブルやコネクターに傷・変色・焦げ跡がないか、ときどき目で確認する
底打ち・冠水への注意
- 段差や縁石、未舗装路では速度を落とし、床下をこすらないよう注意する
- 強い底打ちをした場合は、異常を感じなくても早めに点検を受ける
- 冠水した道路には絶対に進入しない。万一水に浸かった場合は、エンジン車以上に慎重に、自分で電源を入れずに専門家に相談する
異常のサイン
次のような症状があれば、すぐに安全な場所に停車し、販売店やロードサービスに連絡してください。
- 電池や高電圧系統に関する警告灯の点灯
- 車内外での焦げたような臭い、甘いような化学的な臭い
- 床下からの煙や、シューという音・パチパチという音
- 航続距離の急な減少や、充電が途中で止まる症状
万一の事故・火災に備える行動手順
EVで煙や火が出た場合、最も大切なのは「消そうとしないで、すぐに離れること」です。
- 安全な場所に停車する:
可能であれば建物や他の車から離れた場所に停め、パーキングに入れて電源を切ります。 - 全員がすぐに車外へ出る:
荷物は持ち出そうとせず、同乗者全員の避難を最優先にします。 - 十分な距離をとる:
有毒なガスが発生するおそれがあるため、煙を吸わないよう風上に、車から十分に離れます。 - 119番通報する:
通報の際は「電気自動車であること」を必ず伝えてください。消防の対応方法が変わります。 - 自分で消火しない:
車載消火器で対応できるのは、ごく初期の小さな火に限られます。電池が燃え始めたら、一般の方が近づくのは危険です。 - 鎮火後も近づかない:
再発火のおそれがあるため、消防の指示があるまで車に戻らないでください。
車内に備えておきたいもの
特に、家族でクルマを使う方は、普段運転しない同乗者にも非常時のドアの開け方を教えておいてください。いざという時、運転者が動けない可能性もあるからです。
まとめ:EVを「正しく恐れ、正しく選ぶ」ために
長くなりましたので、要点を整理いたします。
- 熱暴走は確かに重大なリスク:
一度起きると連鎖的に広がり、電池が自ら酸素を生むため消火が難しく、再発火のおそれもあります。 - 電池の種類で性質は大きく異なる:
ラッコが採用するLFP(ブレードバッテリー)は、三元系に比べて熱暴走を起こしにくい性質を持っています。ただし、絶対に燃えないわけではありません。 - 中国は規制を急速に強化している:
電池の新国家標準GB38031-2025は「2時間燃えない・爆発しない」を義務化し、底部衝撃や急速充電後の試験も追加しました。ドアハンドルについても、2027年から機械式の開放手段が義務化されます。 - 過去最大級のリコールは「電子制御ドアの教訓」:
9社・約427万台のリコールは、電源を失った時の脱出手段の重要性を示しました。 - ラッコへの懸念は「電池そのもの」より「支える体制」に注目を:
統合設計による修理のしやすさ、整備網、ソフトウェアの長期サポートといった点を、購入前に確認しておくことが大切です。 - 自衛策は今日からできる:
非常時のドアの開け方を自分の手で試し、充電・底打ち・冠水に気をつけ、異常があればすぐに離れて通報する。これだけで、万一の時の安全は大きく変わります。
46年この業界にいて実感するのは、どんな新技術も、登場したばかりの頃は不安や批判にさらされ、その中で鍛えられて成熟していくということです。かつてはエアバッグもABSも、そしてハイブリッド車も、同じような道をたどってきました。
EVもいま、まさにその途上にあります。中国の規制強化は、裏を返せば、それだけ多くの問題が起きてきたことの表れでもあります。しかし同時に、業界全体が安全に向けて大きく舵を切った証でもあります。
「ラッコ」をはじめとする輸入EVを検討される際は、漠然とした不安で判断するのではなく、電池の種類、安全規格への適合状況、整備と修理の体制、そして非常時の操作方法を、ご自身の目で確かめてから選んでいただきたいと思います。正しく知って、正しく選ぶ。それが、これからのクルマ選びで最も大切なことだと、業界関係者として心からお伝えしたいと思います。
Sources:
- 36Kr Japan:「発火まで5分」から「2時間燃えない」へ
- 汽車之家:電池「最厳国標」7月施行(試験内容・移行期間)
- 汽車之家:新国標全面施行(単一セル試験の限界の指摘)
- SMM:GB38031-2025とGB18384-2025同日施行
- 新華網:世界動力電池大会 曽毓群会長の講演
- 界面新聞:CATLのppb水準の主張
- 第一財経:「速成車」問題と当局の動き
- 36Kr Japan:ドアハンドル427万台リコール
- CnEVPost:リコール詳細と各社の対策
- Gasgoo:GB48001-2026公布
- 第一財経:ドアハンドル強制標準の要件
- nippon.com(時事):BYDラッコ発売
- carview!:ラッコの構造・グレード・価格
- Impress Watch:ラッコの保証内容
- Business Insider Japan:ラッコ開発の背景
- MONOist:EVとガソリン車の火災統計の注意点
- 国土交通省:BYDリコール届出

