ディーラー業務のストレス②パニック障害という精神疾患

業務

業務のストレスの三大原因となりうるものは
①専門性をもった事務の蓄積されていく作業量
②間違いの許されない作業の緊張感の持続
③人間関係の問題

担当する部署によって①~③のウエイトは異なってくることになります。
そしてストレスの蓄積は様々な精神障害を引き起こすことになります。

長期に渡る障害で苦しんでいる方に向けてアドバイスも掲載しています。ご参考に

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鬱とパニック障害という精神疾患について

精神障害と聞くと一番に鬱(うつ)障害を思い浮かべる方が多いかと思われます。

「鬱」と「パニック障害」の違いについて解り易く極端な例で説明すると
鬱は「死んでしまいたいと自身を追い込んでいく精神障害」であって徐々にと進行していくものです。
パニック障害は「死んでしまうのではないかという恐怖に襲われる精神疾患」であって徐々に消えていくものです。
全く異なった精神疾患の予後を辿りますが、投薬の種類や心療相談等治療方法は比較的相関しています。

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パニック障害それは突然発症します

小職の場合、職場ストレスのピークと共に就寝前に冷えたビールを飲んで夜間エアコンんを消し忘れ体が冷え切った状態で就寝。寒気と共に深夜2時頃に目が覚めると同時に突然の過呼吸状態になります。首から下の間隔が全く無いような感じでだんだん呼吸が出来ない状態が強まっていきます。味わったことのない強い不安感で「もう救急車を呼んでも多分助からないだろう」と死ぬ前に人生の記憶が走馬灯のように駆け巡ると言いますが死を悟りました。

10分程経過して救急車が到着したころには症状が何故か収まっているが恐怖感から激しい鼓動だけが残っている状態です。自分自身で歩いて救急車に乗車、脈拍は160回以上の興奮状態

緊急外来で、病状を伝えると詳しい検査が必要ということで緊急入院

ここから様々な精神障害との闘いが始まります。今から思い直すと心疾患の引き金はこの頃からとも言えます。

パニック障害の治療は早期がカギ

緊急入院から様々な精密検査を行いました。動脈血液検査、心エコー検査、脳機能MRI、何も病気は見つかりません。入院中、最初の数日は不安性過呼吸症状が発症した夜間を中心に一日に数回発症します。その度に死の恐怖に襲われる強い不安感が数分から長くても10分程度襲ってきます。その間耐えるしかありませんし脈拍は一気に上昇します。

同じく精神不安から様々な体の異変が現れます。急に熱くなったり寒くなったり、震えが収まらなかったり、不安から動機は長時間収まらない状況が持続します。

夜間恐怖症になり眠れないまま朝を待ちます。神経が高ぶっているので昼間でも仮眠ができませんので強度の不眠症が始まります。そして入院は3週間に及びます。病名は確定しないので更に大きな大学病院とか紹介状をお願いしましたが健康状態に異常が認められないということで3週間目に退院し自宅療養となります。

精神科とか心療内科とか専門医がいる病院なら早くから薬品投与により症状が治まったのではないかと後になって後悔がのこることとなります。早期に適切な治療を受けることが出来れば短期間で症状は改善できた筈です。

パニック障害を始めて知ることになる

退院してからの体調が安定せず、発作の繰り返しでした。最初は毎日起きていた発作が2日に一回、3日に一回と徐々に改善は見えましたが、1か月経過してやっと仕事に復帰できるも体調不良で早退の繰り返しです。このまま職を失うのではないかという不安もありました。

この頃から、自分自身を精神障害と認めたくない思いから敷居が高く利用したくなかった精神科の門を叩きます。
そして初めて言われた病気が「パニック障害」です。

ネットで色々な経験談を収集することになりましたが、発病当時は認知度が低く「発症した者でなければ理解しがたい病状」でもあり周りに理解してもらえないという苦しみがありました。

決して精神疾患としては珍しいものではなく100人に一人が発症するといわれているストレス社会が生み出した新しい疾患であると言えます。

精神科の薬が合わない苦しみ

精神薬にはベンゾジアゼピン系と言われる薬が多用されていて種類も沢山あります。
病状の初期は、経口が許される範囲内で最大値の処方箋を飲むことになります。強い精神薬に体が付いていかず、頭痛と絶えまなく頭か締め付けられている間隔が持続しました。

何度も何度も数週間単位で処方箋を切り替えては、自分の症状に合った薬品を処方していきます。大変な苦痛です。

結果として精神科への通院は長続きしませんでした。毎週のように通院が必要であることと、就業時間中に通院を続けないと効果も得られないというリスクもありました。会社を辞めるか治療をするか究極の選択です。

心療内科「心の相談室」との出会い

数年に渡る長い期間、内科で精神安定剤を貰い続けました。安定剤さえ飲んでいれば発作が起きないと自己暗示をさせることによって安心感を得る、内科の先生には無理をいって大変お世話になったことを感謝しています。

3年は通院を続けたでしょうか、余りに完治しない病状に「何とかしてあげたい」という先生の意思で看板を掲げた医療機関でないが自宅(一見民家)で同じような精神疾患で長年苦しんでいる人を診ている診療内科を紹介していただけました。

今から思えば、1年余り通ったこの心療内科が本当の意味で心の支えとなり完治に向かって進むことができたと感じています。

心の相談室には沢山の患者さんが通院?していましたが他の患者と接することは一切ありません。精神科とは全くことなります。そして病院に通院しているという関感すらありません。「普通の民家のおじさんに相談する」です。

不思議な治療法「心のクリニック」では一切薬を処方しません。ただひたすら自分が思い当たる心の不安材料や何気なく普段考えている事柄をひたすらメモに綴っていきます。自分の生い立ちや家庭環境、職場環境や人間関係、全てを第三者に伝えることによって、大勢の患者さんと向き合ってきた診療内科の専門医に分析をしてもらい、何が引き金となって発作や不安を誘発するのか気の遠くなるような会話の中から探っていく治療です。

会話の例ですと、「死ぬのではないかという恐怖感が襲ってくる」に対し「何故死ぬことが怖いのですか?」に対する対話を掘り下げていくといった手法です。

完治は「治る」のではなく「忘れる」こと

心療内科に通院を始めて数か月が経ったころ、今朝薬を飲んできたのか忘れる日がありました。そんな経験は初めてです。今日は大丈夫で良かったと安心し「次の日は必ず忘れずに飲んで出勤しよう、二日飲み忘れると大変」とその日は不思議な感覚であったことを覚えています。それから何度か飲み忘れる日が増加していきます。薬を飲み忘れているのに体調に変化がない。変化がないので飲み忘れていること自体に意識が無くなっているのです。

これが完治に向かう第一段階です。脳が恐怖感を忘れかけているので体調異変が無いのであって、脳が自然の形、日常の正常な活動に改善してきているのです。

完治とは症状事態を意識しなくなるということです。小職は8年間「パニック障害」と向き合いました。

脳を休める事の厄介さと重要性

「パニック障害」も心の病であって立派な病気です。病気である以上必ず初期症状があります。
小職の場合はメニエール症に似た軽いめまいが何度かあったことと不眠症ですが職場環境によって個人差は大きいと感じます。

発症しない対策は、ストレスを貯めないことと睡眠(熟睡)に尽きます。

厄介な問題は「脳を休める」という事です。肉体疲労のように体が疲れている場合には休息をとれば回復します。
しかし脳は体が休んでいても活動し続けています。冒頭三大要因のようなストレス(悩み事)は消えることはありません。考え事が増え不眠になりがちになって、たとえ寝むることが出来たとしても浅い夢の中でうなされたり激しく脳は活動を続けます。脳の疲労は知らない間に蓄積されていきます。

悩みの原因となるものを全て排除するしか方法はありません。一人では解決できない問題も大きいと感じます。
周りの人たちの理解も中々得られることも出来ない訳ですから

パニック障害の完治から理解できたこと

パニック障害によって死ぬことは絶対にない安全な病気です。ですが死を覚悟する程の強烈な不安障害をもたらす
精神障害では恐怖の病であることに舞違いはありませんが、克服すると人生観が変わります。

癌で余命宣告をされることは高い確率で死に至ります。予後を後悔しない充実した生活にしたいと誰しもが考えることになります。パニック障害は「死を覚悟する」と書きましたが「死を覚悟する経験ができる安全な病」であるとも言い換えられます。ある意味不幸中の幸いであってその後の人生観が大きく変わってきます。

「生きていること」への価値観、幸福の度合いが格段に異なってきます。一度終わった人生を「人の為に使いたい」、「自分が生きる価値とは何か」、「生きた証は残せたか」とか健康な方は感じない様々な事、考え方が大きく変貌します。

小職は天から授かった「心の不治の病」であって有難い障害だと感じています。ブログを始めようと思ったきっかけでもあります。

パニック傷害の克服に向けてのアドバイス

傷害は発症する場所や時間によって症状も大きく異なり、改善に向けてご参考になるかは判りませんが心の克服の体験談からここに記しておきます。

自分に起こっている傷害の原因が判らず、内科に通院し苦しんでいるときに病院の壁に「ちょうどよい」という文章が廊下に掲示されていました。内科の先生から心療内科を紹介されたときに是非この文章を読んで貰いたいと言われました。

小職は生涯忘れることの出来ない「ことば」となったことは言うまでもありません。

「仏教のことば」になります。

丁度よい

お前はお前で丁度よい
顔も体も名前も姓も お前にそれは丁度よい
貧も富も親も子も 息子の嫁もその孫も
それはお前に丁度よい
幸も不幸も喜びも 悲しみさえも丁度よい
歩いたお前の人生は 悪くもなければ良くもない
お前にとって丁度よい
地獄へ行こうと極楽へ行こうと 行ったところが丁度よい
うぬぼれる要もなく卑下する要もない 上もなければ下もない
死ぬ月日さえも丁度よい
仏様と二人連れの人生 丁度よくないはずがない
丁度よいと聞こえた時 憶念の信が生まれます人と自分を比較し、劣っていると思うから

パニック障害の一番の敵は「心の不安」が全てです。他人と自分を比較し、健康であった自分と比較し、薬を飲み続ける事への不安との戦い。すべてが不安との闘い。
そして不安から再発するパニックの連続。終わることない負の連鎖

誰もが悩みを抱えている。みんな同じであって比較するという考えを先ず捨てましょう。
自分に替わる者など何処にも無くて、自分が自分らしくあればそれで良いのです。

小さな幸せを見つけよう「詩」です

山の貴方

山のあなたの 空遠く
「幸」住むと 人のいふ
噫われひとと 尋めゆきて
涙さしぐみ かへりきぬ
山のあなたに なほ遠く
「幸」住むと 人のいふ

頑張れば幸せが必ず何処かにあって、頑張らなけらば幸せは手に入らない
頑張れる人を見ると羨ましく思えてしまう。

でも小さな幸福感は実は身近にあるもので、小さな幸せを見つけ育てていく事で不安は和らぎます
他人から言われることに意識を置くのではなく自分が中心(どう感じるのか)であれば良いのです