自動車業界が100年に一度の変革期を迎える中、マツダは独自の道を切り拓いています。多くのメーカーがEVシフトへ舵を切る中、マツダが掲げるのは「内燃機関(エンジン)こそがカーボンネガティブを実現する鍵である」という、業界の常識を覆すビジョンです。
「走れば走るほど地球を綺麗にする」——一見すると夢物語のようなこの言葉が、2026年6月のレース場で、数字として現実のものになりつつあります。本記事では、マツダが目指す未来と、その中核を担う技術の全容を、業界最新情報に基づき徹底解説します。
そもそも「カーボンネガティブ」とは何か? EVでは届かない領域
まず、混同されがちな用語を整理しておきましょう。
- カーボンニュートラル:
CO2の排出量と吸収・回収量が「差し引きゼロ」の状態 - カーボンネガティブ:
CO2の吸収・回収量が排出量を上回る状態。走れば走るほど、大気中のCO2が減る
ここが重要な核心です。電気自動車(BEV)がいくら普及しても、発電所で石炭や天然ガスを燃やす限り、ライフサイクル全体でのCO2削減には限界があります。一方、マツダが描く内燃機関の未来は「エンジンが動くことで、大気が浄化される」という、BEVの概念を根本から超えたアプローチです。
これを実現するのが、「カーボンニュートラル燃料(CN燃料)」と「車載CO₂回収装置 Mazda Mobile Carbon Capture」の組み合わせという二段構えの戦略です。
第1の柱:カーボンニュートラル燃料による「排出実質ゼロ」への挑戦
微細藻類バイオ燃料が描く「炭素の輪」
マツダが注目する次世代燃料のひとつが、微細藻類由来のバイオ燃料です。藻類は光合成によって成長過程でCO2を吸収し、そこから抽出したオイルを燃料とします。燃やせばCO2が出ますが、その分は成長中に大気から吸収済み——これが「カーボンニュートラル」のサイクルです。
製造工程でのエネルギー消費を含めたライフサイクル全体で評価しても、従来の化石燃料比で約90%のCO2削減が可能とされています。
e-Fuel(合成燃料)が示すエンジン車の未来
もうひとつの柱が、再生可能エネルギー由来の電力と大気中のCO2から合成するe-Fuelです。欧州では2023年3月に「e-Fuelのみ使用を条件として、2035年以降もエンジン車新車販売を容認する」という政策転換が実現しており、内燃機関の生き残りを後押しする国際的な動きも加速しています。
今回の富士24時間レースの実証実験に使用されたのは、欧州で既に実用化されているカーボンニュートラル燃料「バイオディーゼル燃料(HVO:水素化植物油)」です。実験室の仮説ではなく、現実の市場で流通している燃料を使って技術を磨いている——この点は見逃せません。
第2の柱:「Mazda Mobile Carbon Capture」が動き出した
世界初の試み——レースカーが「空気清浄機」になる日
マツダの革新性の真骨頂は、残り約10%のCO2を走行しながら「能動的に回収・貯蔵する」という点にあります。その装置が「Mazda Mobile Carbon Capture(マツダ モバイル カーボン キャプチャー)」です。
2025年の「JAPAN MOBILITY SHOW 2025」で発表され、同年11月のスーパー耐久シリーズ最終戦で世界初のレースでのCO₂回収公開実証実験が開始されました。そして2026年6月5日〜7日、富士スピードウェイで開催されたスーパー耐久シリーズ2026第3戦(富士24時間レース)で、この技術は大きな飛躍を遂げました。
なぜ大気から回収するより「排気ガスから回収」する方が賢いのか
大気から直接CO2を回収する技術「DAC(Direct Air Capture)」は近年注目を集めていますが、大気中のCO2濃度はわずか約0.04%。非常に薄い濃度から回収するため、莫大なエネルギーと大型設備が必要です。
一方、内燃機関の排気ガス中のCO2濃度は大気の数十倍以上と圧倒的に高い。つまり、より少ないエネルギーで、省スペースに、効率よく回収できるのです。エンジン車が持つ「濃度の高い排気ガス」という特性そのものが、CO2回収においては強力な優位性に変わる——これがマツダの逆転の発想です。
ゼオライトが鍵を握る——吸着・脱離・貯蔵の三段階プロセス
装置の心臓部となるのが、多孔質構造を持つゼオライトです。ゼオライトは無数の微細な孔(あな)を持つ鉱物で、CO2を物理的に吸着する能力を持ちます。さらに重要な特性として、「加熱するとCO2を脱離しやすくなる」という性質があります。
実際の回収プロセスはこう動きます:
- 吸着フェーズ:排気ガス中のCO2をゼオライトが吸着
- 脱離フェーズ:走行中の排気の熱を利用してゼオライトを加熱し、吸着したCO2を脱離
- 貯蔵フェーズ:電動コンプレッサーで掃気し、専用タンクに貯蔵
このすべての工程を走行中に繰り返すという「一連のプロセスの実証」に、マツダとして今回初めて成功しました。
2026年富士24時間レース:前回比9.6倍の804gを回収
今回の実証実験(スーパー耐久シリーズ2026 第3戦)における成果は明確な数字で示されています。
| 項 目 | 2025年(第1回) | 2026年(第2回) | 変 化 |
|---|---|---|---|
| CO2回収量 | 84g | 804g | 約9.6倍 |
| 新機能 | 吸着のみ | 吸着+脱離+貯蔵 | フルプロセス完成 |
| 燃料 | — | HVO(バイオディーゼル) | CN燃料との組み合わせ |
さらに今回は、HVOによるCO2削減効果と装置によるCO2回収量の合計が、市販車の一般的な利用を想定した回収目標値を一時的に上回る状態を作り出すことに成功。短時間ながら、市販車においてカーボンネガティブとなり得る可能性を実際に確認したという点は、業界的に極めて大きな意味を持ちます。
次のステップとして、より高負荷なレーシングカーでのカーボンネガティブ実現を目指し、2026年11月開催のスーパー耐久シリーズ最終戦へ向けてさらなる開発が進められています。
「カーボンネガティブ」の計算式:CN燃料で約90%のCO2削減 + 車載装置で排出CO2の10%以上を回収 = 理論上、走るほどCO2が減る
これは、電気自動車(BEV)では決して到達できない、内燃機関ならではの独自のアドバンテージです。
ロータリーエンジンが脱炭素の「切り札」になる理由
かつての弱点が、時代の変化で最大の武器へ
マツダの代名詞であるロータリーエンジン(RE)は、かつては「燃費の悪さ」と「排ガス規制への対応」が課題とされ続けてきました。しかし脱炭素時代において、その独自の構造的特徴が最大のアドバンテージへと転じています。
マツダの毛籠勝弘社長が「燃料に対する雑食性がある」と語るように、REは構造上の理由から多様な燃料に対応できる懐の深さを持っています。
「雑食エンジン」の正体——3つの構造的優位性
① 異常燃焼(バックファイア)の抑制
ロータリーエンジンは吸気室と燃焼室が物理的に分かれた構造を持つため、吸気側が高温になりにくい特性があります。これにより、水素のような「非常に燃えやすい燃料」でも、意図しない燃焼(バックファイアやプレイグニッション)を抑制できます。水素エンジン化に向けて、ロータリーは最も適したエンジン形式のひとつと言えます。
② 難燃性CN燃料もしっかり燃焼させる
ロータリー特有の燃焼室では強い混合気の流動(スワール)が発生するため、燃えにくいCN燃料でも確実に燃焼させることができます。微細藻類バイオ燃料やe-Fuelのように、化石燃料とは燃焼特性が異なる次世代燃料であっても適応できる柔軟性があります。
③ バルブレス構造によるアルコール燃料への耐性
レシプロエンジンと違い、ロータリーエンジンはバルブを持たない構造です。そのため、潤滑性の低いアルコール系燃料の影響を受けにくいという強みがあります。バイオエタノール燃料などとの相性も優れています。
これらの特性から、ガソリン、水素、e-Fuel、バイオ燃料、LPG、CNGなど多種多様な燃料に対応できる「マルチフューエル対応エンジン」として、脱炭素時代のロータリーは再評価されています。
「ロータリーEVシステムコンセプト」——電動化の核へ
マツダのロータリーは単体のエンジンではなく、電動パワートレーンの中核として再定義されています。それが「ロータリーEVシステムコンセプト」です。
- コンパクト性:1ローターモデルはBEV専用のモータールームに収まるサイズを実現。既存の電動プラットフォームへの搭載が可能です
- 低重心シルエット:2ローターモデルは革新的な低重心レイアウトを実現し、スポーツカーに相応しいパッケージングを生み出します
- 発電専用機としての最適化:エンジンの効率が最も高い回転域のみで選択的に発電。始動直後のエミッションが多い時間帯は電力でエンジンを温めてから始動するなど、最新の制御技術との組み合わせにより極めてクリーンな動作を実現しています
2023年11月に発売された「MX-30 Rotary-EV」で現実のものとなったこのコンセプトは、将来的にアイコニックSPなどのスポーツカーへの展開も視野に入れており、ロータリーの「走る歓び」と脱炭素の両立という、マツダらしいビジョンを具現化しています。
マツダのカーボンニュートラルロードマップ:2050年への具体的戦略
「つくる・はこぶ・つかう」ライフサイクル全体での削減
マツダは、クルマの走行時のCO2削減にとどまらず、サプライチェーン全体でのライフサイクルCO2削減を掲げています。
2フェーズのマイルストーン:
- 2035年:グローバル自社工場のカーボンニュートラル実現
- 2050年:サプライチェーン全体でのカーボンニュートラルへの挑戦
工場の脱炭素化——石炭からの完全脱却へ
生産拠点(「つくる」領域)での取り組みも具体化しています。
当初、本社工場宇品地区(広島市)の自家発電設備は、石炭からアンモニア専焼への転換を計画していました。しかしマツダは2025年9月にロードマップをアップデート。「より着実な脱炭素推進」のため、既に発電技術が確立されたLNG由来の都市ガスを燃料とするガスコージェネレーションシステムへの切り替えを決定しました。
川崎重工業との共創で検討が進むこのシステムは、エネルギー利用効率が極めて高い点が特長です。そして最大のポイントは、設備の小規模な改造のみで将来的に水素への切り替えが可能な設計になっていること。CN燃料インフラの社会実装の進展に合わせ、段階的に水素へ移行できる「柔軟な脱炭素ロードマップ」を描いています。
さらに、本社工場と防府工場の両拠点で現在稼働中の石炭火力発電は、2030年を目処に廃止する計画です。広島ガス・中国電力とも協力しながら、地域一体での取り組みとして進められています。
本社工場のキュポラ(溶解炉)でも変革が:
本社工場のキュポラ溶解炉では、化石由来のコークスからバイオマス廃棄物由来のバイオ成型炭等への燃料転換を推進。2025年にはヤシ殻由来のバイオ成型炭への全量転換実証操業に成功したことが発表されており、世界的に社会実装例のないキュポラのCN操業という前人未到の目標に向け着実に前進しています。
2030年中間目標:「46%以上削減」への現実的なアップデート
2030年度の国内自社工場等におけるCO2削減目標を、「2013年度比46%以上」へと更新しました。これは日本の国家目標と同等の水準に設定し直したものです。野心的な数字だけを掲げるのではなく、実現可能性と確実性を重視する——マツダのエンジニアリングマインドが、目標設定にも表れています。
「マルチソリューション」戦略——BEV一辺倒でない、現実的な解
地域に合わせた最適解を届ける哲学
マツダは地域ごとの電力事情・インフラ整備状況・顧客ニーズに応じて、BEV、PHEV、HEV、そしてCN燃料エンジン車を適材適所で提供する「マルチソリューション(マルチパスウェイ)戦略」を基本方針としています。
これには明確な現実認識があります。日本や欧米では電気インフラが整備されていても、東南アジア・中東・アフリカなどの新興市場では事情が異なります。再生可能エネルギーの普及率が低い地域で電気自動車を普及させても、ライフサイクルCO2は必ずしも削減されません。
一方、CN燃料対応エンジン車であれば、電力インフラが未整備な地域でも、燃料を切り替えるだけで脱炭素を実現できる可能性があります。これは**「全世界のすべてのお客様に、走る歓びと脱炭素を届ける」**という、マツダらしい誠実なグローバル視点です。
回収したCO2の行き先——循環する社会へ
マツダが描くビジョンはさらに先を見据えています。車載装置で回収したCO2をそのまま廃棄するのではなく、樹脂材料や農作物の肥料として社会に循環させるというシナリオです。
CO2は工業原料として活用できる資源でもあります。回収→活用→再排出→再回収というループが確立されれば、クルマは単なる移動手段を超え、炭素循環社会のインフラとなり得ます。
結びに:これはエンジンの「延命」ではなく「新生」の物語
エンジニアたちは知っていました。エンジン車の生き残りを信じ、自ら名乗りを挙げて集まり、CO2を「排出しない、むしろ減らすエンジン車」を目指してプロジェクトを立ち上げた——マツダの公式レポートはその技術者たちの意地と信念を静かに伝えています。
2025年の「JAPAN MOBILITY SHOW 2025」でのビジョン発表から、2026年6月の富士24時間レースでの804g回収成功まで、マツダの挑戦は確実に現実へと近づいています。
次のマイルストーンは2026年11月の最終戦。より高負荷なレーシングカーでの完全なカーボンネガティブ実現に向け、挑戦は続きます。
この物語は、電動化一択に見える自動車業界の潮流の中で、内燃機関に情熱を注いできたすべての技術者・業界関係者・クルマ好きにとって、新たな希望の光となるはずです。
「走れば走るほど地球がきれいになる」——この夢を現実にするための戦いは、今まさにレーストラックで繰り広げられています。
取材・情報出典 マツダ株式会社公式プレスリリース(2026年6月8日)、JAPAN MOBILITY SHOW 2025発表資料、マツダ公式サイト「気候変動への挑戦」ページ、スーパー耐久シリーズ2026 第3戦実証結果(各自動車メディア報道)をもとに構成

